はじめに
皆さんは「損得」って聞いたとき、何を思い浮かべますか? まぁ、普通はお金の損得(経済的な損得)を考えますよね。
でも私は、感情にも損得があると常々思っています。 世の中、お金の損得は見えていても、 感情の損得は見えていない人が結構いるように思います。 今回はそのあたりの話をしたいと思います。
※本コラムは私の個人的な見解を述べたものです。 一つの意見としてお読み頂ければ幸いです。
人は感情をやりとりしながら生きている
例えば、店で買い物をするということを考えてみましょう。
店でモノを買うと、お金と品物を交換することになります。 このとき、お金と品物は同価値とみなされるので、経済的な損得は発生しません。 100円のおにぎりを100円で買うのですから、プラマイゼロですね。
しかし、店員の態度が良い場合と悪い場合に分けたらどうでしょう? 同じ品物を同じ値段で買ったとしても、 態度の良い店員から買った場合は感情的な得を得られ、 態度の悪い店員から買った場合は感情的な損を食らう ということになります。
図解するとこんな感じ。 態度の良し悪しとその影響を数値を含めて表現してみました。
「別にお金は損してないんだからいいじゃん」という意見もあるでしょう。 確かにお金は損していません。 しかし、態度の悪い店員からは感情の損を受け取っています。
感情の損得は目に見えないため、 普段あまり明示的にその存在を意識することはありませんが、 感情の損得は人間の世界で常にやりとりされています。
そして感情の損得は実際の損得にもつながっています。 感情得を受け取れば、気持ちよく仕事ができて生産性が上がるかもしれません。 感情損を受け取れば、その後のパフォーマンスに悪影響があるかもしれません。 また、感情得を与えて好感を持たれれば仕事はよりスムーズに進むでしょうし、 感情損を与えて嫌われれば仕事にも支障をきたすかもしれません。
お金の損得だけでなく、感情の損得も生きていく上で重要な要素なのです。
なお、冒頭の例で言えば客側の態度も当然店員の感情の損得につながります。 たまに店員に対して傲慢に振る舞う客がいたりしますが、 こういう客は店員に感情損を与えています。 客も気持ちよく買い物をし、店員も気持ちよく仕事ができるように、 お互いが感情の損得を考えるべきでしょう。
お金の損得と感情の損得は別勘定
お金の損得しか見えていない人の代表格といえば、 かつて某L社の粉飾決算で有罪になった元社長のH氏が思い浮かびます。
SNSなどで、「障碍者が働くのは生産性が低いからムダだ」みたいな発言をしたり、 ジャパネットタカタの高田社長に対して 「情報弱者に高値で売りつけてる」みたいなことを言ったり、 ある意味かなり傲慢な発言の目立つ人です。
ただ、この人の発言はお金の損得的には正しいことが多いんです。 確かに障碍者が働くより健常者が働いた方が生産性が高いでしょうし (もちろんそこは個々人の能力によるわけですが、 純粋に障碍によるハンディ分を差し引いたとしたら健常者に分があるでしょう)、 TV通販でモノを買うよりネットで最安値を探して買った方が安いでしょう。
しかし、人間の幸せというものはお金の損得だけで決まるわけではありません。 TV通販で高田社長が紹介しているものを買う人々は、 高田社長のあの軽妙なトークで十分な感情得を得ているから、ジャパネットタカタで買うんです。
逆に、いくら安くても感じの悪い人間が売っていたら買う気にならないですよね。 それはその感じの悪い人間から感情損をくらってしまうからです。 仮にH氏がTV通販をやったとして、 感じの悪い傲慢なトークでモノが売れるでしょうか? いくら安かったとしても「お前からは絶対買わねえよ」となるのではないでしょうか。 つまり、H氏の発言は感情の損得を見ていないということです。
商売人はこのあたりのことを肌感覚で分かっています。 「客商売では愛想良く」というのは当たり前のように言われますが、 これはなぜなのでしょうか。 単純に、愛想の良し悪しが売り上げに影響するからです。 愛想が良い店と愛想の悪い店で、同じモノを同じ値段で売っていたら、 多くの人は当然愛想の良い店で買いたいと思いますよね。 そういうことです。
人は、お金の損得と感情の損得を合わせて判断する
人は、お金の損得に感情の損得を加えて、物事を判断します。 お金の損得しか見えていない人は、得てして感情を軽視する傾向があり、 自覚のないまま色々な人に感情損を振りまいてしまっていることがあります。 仮に自覚があっても「金を損していなければ、損は発生していない」 とでも思っているのでしょう。
先述のH氏が粉飾決算で有罪になったとき、 「ざまあみろ」的な目で見ていた人が多かったように思います。 これはそれまでに彼が多くの人に多大な感情損を振りまいてきた結果なわけです。 塀の中から出てきたあとも、感情の損得についてはあまり分かってないようで、 相変わらず多くの人に感情損を振りまいているようです。
こういう人は社会全体の感情価値を目減りさせることになるので、 仮に経済的な損失を出していなくても、社会に損失を与えていることになります。
人間は動物ですから、感情があります。 皆、幸せに生きたいと思っているわけです。 幸せというのは感情であり、お金は幸せに生きるための手段です。 人々の感情を害するということは、人々の幸せを害しているということです。
感情の損得の性質
感情の損得には以下のような性質があります。
一つ目としては、人に与えても減らないところ。 例えば誰かに挨拶して相手に感情得を与えたところで、 自分が感情損をするわけではありません。 お互いに挨拶すれば、お互いが感情得を得て、双方にプラスになります。
二つ目としては、人ごとに残高が設定されるところ。 お金の場合はAさんとやりとりしようがBさんとやりとりしようが 1000円は同じ1000円ですが、感情の場合は異なります。
Aさんの中にはBさん、Cさん、Dさんの残高があり、 Bさんの中にはAさん、Cさん、Dさんの残高があり… という形で、相手ごとに残高が設定されます。
三つ目としては、残高はプラスにもマイナスにもなるところ。 最初はゼロから始まります。 挨拶したり話をすることにより、感情残高が増えたり減ったりします。
この感情残高はある程度プラスに保っておくことが大事です。 なぜなら、相手の中にプラスの残高を十分に積み上げている人は、 多少マイナスなことがあっても残高はプラスのままです。 しかし、相手の中にプラスが積み上がっていない状態で、 何かマイナスがあるとすぐに残高がマイナスになり、 コミュニケーションに支障をきたします。
例えば、初対面の相手にいきなり「金を貸してくれ」と頼まれた場合、どうでしょう。 ほとんどの人は断るのではないでしょうか。 しかし、十分に親しい間柄での頼み事であれば、 感情残高が十分プラスに積み上がっているため、 無碍には断らないでしょう。
感情の損得で難しいところ
感情の損得を考える上で難しいのは、 感情はお金と違って定量的に測ることができないというところです。 同じ言動、同じ事象に接しても、人によって快不快やその度合いが異なるからです。
とはいえ、同じ人間ですから、 感情の動きというものはおおまかに共通するものがあるはずです。 例えば、 誰でも挨拶されればいい気分、 無視されれば気分が悪い、 褒められれば嬉しい、 けなされればムカつく、 といった基本的な感情は誰しも共通しますよね?
感情はお金のように定量的に測れませんけども、 感覚的にはつかめるはずです。 コミュニケーションの上手な人というのは、 相手に与える感情損得を把握し感情残高をコントロールするのがうまい人 と言えるでしょう。
人間関係がうまくいかないと悩む人は、 お金以外にそういう見えないやりとりが存在するんだということも意識して人と接すると、 コミュニケーションがよりスムーズになるのではないでしょうか。
なお、感情の損得は定量的に測れないとは言っても、 それを何とか測ろうとすることもあります。 例えば「慰謝料」というものがそれです。 慰謝料は、感情の損をお金で埋め合わせるということです。
つまり、目に見えなくても、定量的に測れなくても、 感情価値は時に経済価値にも変換され得るものであり、 確かに存在するものである、と社会的にも認識されているということです。
周囲に感情損を振りまく人は…
仮に、ろくに挨拶をしない人がいたとします。 こういう人は、人に出会う度に相手に感情損を蓄積することになります。 挨拶をしなくても金銭の移動は発生しませんので、 その場でお金を損するわけではありませんが、 すれ違う度に「こいつ感じ悪いなぁ」と思われるわけです。
感じの悪い人は当然のごとく嫌われます。 人に嫌われていたら様々なことがうまくいかなくなります。 なので、感じの悪い人は、結果的に様々な形で自分が損をすることになります。
私が以前勤めていた会社で、周囲とうまく人間関係を築けない困った人がいました。 その人はいわゆる正論を吐くタイプで、 「俺は正しい」と思い込んでいるのですが、 いかんせん人の感情を慮るのがヘタクソなので、みんなに嫌われていました。 周りの人を不快にさせておきながらうまく仕事が回るわけがないのに、 そのことを分かっていないのです。
また、以前不動産屋へ商談に行ったときのことですが、 とても傲慢な営業マンに出会ったことがあります。 もちろん「お前とは絶対取引しねーから」と思って、それっきりです。
さらに、以前参加した投資家仲間の飲み会で、若くして成功(?)したようなタイプで、 「稼いでるヤツがエラい」「稼いでるオレはエラい」 「目上の人間にもズケズケ物言う俺はイケてる」 と言わんばかりの雰囲気でしゃべる傲慢なタイプがいました。 当然、こんな人間とは一秒たりともつきあいたくないと思いましたし、 端から見ていても痛々しい限りでした。 あんな風にトゲトゲしく周囲に感情損を振りまいていては、 どれだけ稼いでいたとしても絶対に幸せにはなれないでしょうし、そもそも周りが迷惑です。
なお、近年ではSNS等の発達により、 自分の発言を多くの人に伝えることができるようになりました。 しかしそれは、自分の発言に接した人の数だけ感情の損得が増幅するということを意味します。 1万人に感情損を振りまけば、感情損は1万倍。 いわゆるSNSで「炎上」する人というのは、多くの人に感情損を振りまいてしまった結果、 しっぺ返しを食っている、ということになるでしょう。
まとめると、周囲に感情損を振りまく人は、自分が損をし、周囲も迷惑する。 つまり社会全体の感情価値を低減させる存在と言えるでしょう。
なお、同じ言動でも受け取り方が人によって異なる場合の社会に与える影響ですが、 仮に感情得が8000人、感情損が2000人、なら差し引きプラス6000人分の感情得、 感情得が2000人、感情損が8000人、なら差し引きマイナス6000人分の感情損、 といった形になるでしょう。
周囲に感情得を積み立てられる人は…
きちんと挨拶ができるとか、 勤務態度が良いとか、 相手の気持ちを考えて発言できるとか、 そういった人は人から好かれ、社会的評価も高いですよね。
態度がどうであれ金銭的には損も得もないはずなのに、評価されるのはなぜなのか。 それは、感情的な価値、 つまり感情得を周囲に与えられる人である点が評価されているのです。
感情得を与えられる人は、自分にとっても周囲にとっても良い影響を及ぼし、 社会全体の感情価値を増幅させる存在と言えるでしょう。
お金の損得に加え、感情の損得も意識することで、 より豊かに幸せに生きていくことができるのではないでしょうか。
まとめ
- 損得にはお金の損得だけでなく感情の損得がある
- 人はお金の損得だけでなく感情の損得を合わせて物事を判断する
- 感情の損得が見えていないと、お金があっても幸せになれない
- 幸せに生きられる人は、周囲とうまく感情得をやりとりできる人